
「薬師寺」
薬師寺を訪れた日は、3月桜の蕾がふくらみ、まもなく開花しようとする暖かい日でした。金堂の正面に立つと、左手に色鮮やかな西塔、右手に古びて貫禄のある東塔が見えます。左右の塔の配置は時代の違いを感じさせます。新しさと古めかしさが奇妙に調和していて何とも言えず魅力的でした。この二つの塔がこの寺の一番の見どころかもしれません。
「薬師寺」が創建されたのは、七世紀の終わりで天武天皇が、皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈って発願した寺です。しかし、大伽藍を誇っていた薬師寺も平安末期と戦国時代の2度の大火で殆どの伽藍が喪失し、残されたのは、東塔とわずかな建物ものみだったそうです。その後、本尊の薬師如来は仮金堂に置かれ、講堂は江戸時代に再建されましたが創建当時とはまったく異なる様式の建物だったそうです。前に私がここを訪れたのは、およそ40年ほど前です。当時、前管長の高田好胤師が薬師寺の伽藍を創建時のままによみがえらせようと、復興資金を集めるために「写経勧進」を行っていました。その頃、尊敬する叔父が55才で急逝したこともあって、「般若心経」を写経して薬師寺へ納めにきました。現在、金堂には本尊の薬師如来像と日光・月光菩薩が安置されています。この三体の銅像が作られたのは、白鳳とも天平ともいわれ、はっきりしていないそうです。病気や死などに対する人間の恐怖や不安から救い、安心させてくれるのが薬師如来で、早く元気になって一緒に楽しく生きていこうと誘いかけてくれるのが両脇の菩薩だそうです。
「唐招提寺」
唐招提寺は、「鑑真和上(がんじんわじょう)」のお寺です。井上靖著「天平の甍(いらか)」をあらためて読み直しました。鑑真が日本への渡航を決意したのが50代半ばで、中国律僧の第一人者として尊敬されていました。日本の僧の要請を受けて日本へ行くものがいないため、自らが日本へ行くことを決心します。それから5度にわたる挫折でも諦めず、失明しながら6度目の航海で12年をかけて日本へようやく漂着しました。そして奈良の平城京に着いたのは、天平勝宝6(754)年でした。このとき鑑真に同行した僧は、17人、それ以外に画師や彫刻家や刺繍工や石碑工なども含めて185人の大集団だったそうです。その渡航者の中には、中国人のほかにペルシャ人やベトナム人も含まれていました。宗教とともに、国際色豊な唐の文化を運んできました。その鑑真が開いたのが、現在、奈良市五条町にある唐招提寺です。
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